【正露丸あれこれ話】

製品ヒストリー

正露丸にはなんと120年以上もの歴史があります。
さらに、主成分 木クレオソートの原料 木タールにおいては、紀元前の古代エジプトから使われている成分なのです。

木クレオソートと正露丸・セイロガン糖衣Aの歴史

西暦
(和暦)
木クレオソートの歴史 当時の出来事
紀元前

古代エジプトで木タール(木クレオソートの原料)をミイラの保存に使用

紀元前3000年~
1400年頃

イタリアにおいてメディチ家が繁栄
メディチ家の祖先は医療関係者ともいわれ、紋章につかわれている赤い玉は丸薬を 象徴するものといわれている

メディチ家の紋章
14~16世紀
イタリア ルネサンス
1830年

ドイツの化学者 カールライヘンバッハがブナの木から木クレオソートを精製

当初は化膿傷の治療に用いられ、後に防腐剤として食肉用等で使用、その後殺菌作用を期待して胃腸疾患(とくに下 痢)に内服されるようになる

1839年

和蘭(オランダ)商館長ニーマンが「ケレヲソート」の名称で長崎に輸入

1861年

アメリカ南北戦争において木クレオソートの消化器症状改善効果が高く評価される

1861~1866年
アメリカ南北戦争
1880年頃(明治13年頃)

森林太郎(森鴎外)らによって軍薬として活用される

森林太郎(森鴎外)
1886年(明治19年)

日本薬局方初版に「結麗阿曹篤(ケレヲソート;Kreosotum:ラテン名)」として収載される

1894年
日清戦争
1906年(明治39年)

第三改正日本薬局方に「クレオソート丸(Piluae Kreosoti:ラテン名)」が収載される

(現在は削除されている)

1904年
日露戦争
2007年(平成19年)

第十五改正日本薬局方第一追補で、「木クレオソート」(Wood Creosote:英名、Creosote:別名)と名称が変更される

西暦
(和暦)
正露丸の歴史 当時の出来事
1902年(明治35年)

中島佐一氏が「忠勇征露丸」の『売薬営業免許の証』を大阪府から取得

売薬営業免許の証
1904年(明治37年)

日露戦争時に日本軍で征露丸として製造、陸海軍に配布される

陸海軍が御用薬として、将兵に持たせたとされる缶入りの「征露丸」とその記。
1904年
日露戦争開戦
1946年(昭和21年)

大幸薬品株式会社創立者 柴田音治郎が「忠勇征露丸」の製造販売権を継承

1941年
太平洋戦争開戦
1945年
太平洋戦争終戦
1949年(昭和24年)

「忠勇征露丸」から「中島正露丸」に名称変更

国際関係上、ロシアを征するという意味の名称はよくないということで、「征」を「正」に改めました。

1954年(昭和29年)

「中島正露丸」から「正露丸」に名称変更

この頃から「正露丸」となりました。当時の「正露丸」は、現在の「正露丸」とは含有する生薬成分が違っていました。

1957年(昭和32年)

「セイロガン糖衣A」の原型となる「セイロ」発売

「セイロガン糖衣A」の発祥となったもので、丸剤を糖衣コーティングしたものでした。

1964年
東海道新幹線開通、
東京オリンピック開催
1966年(昭和41年)

「セイロガン糖衣」発売

「セイロガン糖衣A」の原型です。「セイロガン糖衣A」とは含有する成分が少し違っていました。

1967年(昭和42年)

「強力正露丸」発売

当時の「正露丸」に乾燥酵母などを加えた成分で、“強力整腸薬”として販売していました。

1970年
日本万国博覧会開催
1973年~
オイルショック
1972年(昭和47年)

現在の「正露丸」の原型となるパッケージ登場

1981年(昭和56年)

「正露丸」新成分に変更

1981年(昭和56年)

「セイロガン糖衣A」発売

現在の「セイロガン糖衣A」の成分、パッケージ原型が登場しました。

1983年(昭和58年)

「正露丸」新パッケージ登場

この頃に、現在の「正露丸」の成分、パッケージになりました。

1985年(昭和60年)

「正露丸」携帯用 発売

レジャーや出張に携帯したいというご要望にお答えして、持ち歩きに便利なハンディーケース入りの携帯用を発売。当時は、4色のケースを取り揃えていました。

1985年
国際技術博覧会
(つくば万博)開催
2002年(平成14年)

「おかげさまで100周年」パッケージ登場

1902年の「忠勇征露丸」発売開始から100年を記念して、限定パッケージが登場しました。

2002年
サッカーワールド
カップ日韓共催
2004年(平成16年)

「セイロガン糖衣A」新パッケージ登場

従来のものから増量、残量がわかりやすい透明のビンへ、携帯時の服用を考慮したPTP包装へ、お客様の使用にあわせたパッケージにこだわりました。

2005年
愛知万博開催
2006年(平成16年)

「セイロガン糖衣A」携帯用発売

今まで使用するのに抵抗のあった女性や若者向けに、Pockerable & Smart なピルケース入りの「セイロガン糖衣A」が新登場しました。

2017年(平成29年)

「正露丸クイックC」発売

正露丸のエッセンスを極めた待望の木クレオソート単味生薬製剤。液状成分の木クレオソートを独自の技術で軟カプセルに封入。様々な下痢のファーストチョイスとしてご使用いただける「正露丸クイックC」が 新登場しました。

2022年(令和4年)

「正露丸」誕生120年

1902年の「忠勇征露丸」発売開始から120年

POINT「正露丸」の名前の由来は?

日露戦争直前の1902年、大阪の薬商「中島佐一薬房」は木クレオソートを主成分とする丸剤に「忠勇征露丸」と名づけ、販売する許可を大阪府より交付されました。1902年は、日英同盟を締結した年であり、ロシアとの緊張関係が高まりつつある状況でした。
一方、大日本帝国陸軍では、1904年に開戦した日露戦争の間、胃腸薬として使用されていた木クレオソートの丸剤に「征露丸」と名づけ、軍人全員に服用を命じていたとの記録が「明治三十七八年戦役陸軍衛生史」に残っています(※)。
第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)に大幸薬品は、中島佐一薬房から「忠勇征露丸」の製造・販売権を継承しました。その後、「征」から「正」へ名前を変え、大幸薬品では1959年に「正露丸」の商標登録を行い、現在にいたっています(※※)。
「正露丸」は日露戦争前から、100年以上にわたって皆さまに愛され続けているのです。

出典:「明治三十七八年戦役陸軍衛生史」

1959年12月登録 登録番号第545984号

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