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紀元前 | 古代エジプトで木タール(木クレオソートの原料)を ミイラの保存に使用 |
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1400年頃 |
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1830年 | ![]() ブナの木から木クレオソートを精製 当初は化膿傷の治療に用いられ、 |
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1839年 | 和蘭(オランダ)商館長ニーマンが 「ケレヲソート」の名称で長崎に輸入 |
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1861年 | アメリカ南北戦争において木クレオソートの 消化器症状改善効果が高く評価される |
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1880年頃 (明治13年頃) |
![]() として活用される |
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1886年 (明治19年) |
日本薬局方初版に「結麗阿曹篤 (ケレヲソート;Kreosotum:ラテン名)」として収載される |
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1906年 (明治39年) |
第三改正日本薬局方に「クレオソート丸(Piluae Kreosoti:ラテン名)」が収載される (現在は削除されている) |
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2007年 (平成19年) |
第十五改正日本薬局方第一追補で、「木クレオソート」 (Wood Creosote:英名、Creosote:別名)と 名称が変更される |
1902年 (明治35年) |
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1904年 (明治37年) |
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1946年 (昭和21年) |
![]() 「忠勇征露丸」の製造販売権を継承 |
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1949年 (昭和24年) |
![]() 変更 国際関係上、ロシアを征するという意味の名称はよくないということで、「征」を「正」に改めました。 |
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1954年 (昭和29年) |
![]() この頃から「正露丸」となりました。当時の「正露丸」は、現在の「正露丸」とは含有する生薬成分が違っていました。 |
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1957年 (昭和32年) |
![]() 「セイロガン糖衣A」の発祥となったもので、丸剤を糖衣コーティングしたものでした。 |
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1966年 (昭和41年) |
![]() 「セイロガン糖衣A」の原型です。「セイロガン糖衣A」とは含有する成分が少し違っていました。 |
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1967年 (昭和42年) |
![]() 当時の「正露丸」に乾燥酵母などを加えた成分で、“強力整腸薬”として販売していました。 |
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1972年 (昭和47年) |
![]() 登場 |
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1981年 (昭和56年) 1983年 (昭和58年) |
![]() 「正露丸」新パッケージ登場 この頃に、現在の「正露丸」の成分、パッケージになりました。 |
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1981年 (昭和56年) |
![]() 現在の「セイロガン糖衣A」の成分、パッケージ原型が登場しました。 |
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1985年 (昭和60年) |
![]() レジャーや出張に携帯したいというご要望にお答えして、持ち歩きに便利なハンディーケース入りの携帯用を発売。当時は、4色のケースを取り揃えていました。 |
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2002年 (平成14年) |
![]() 1902年の「忠勇征露丸」発売開始から100年を記念して、限定パッケージが登場しました。 |
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2004年 (平成16年) |
![]() 従来のものから増量、残量がわかりやすい透明のビンへ、携帯時の服用を考慮したPTP包装へ、お客様の使用にあわせたパッケージにこだわりました。 |
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2006年 (平成18年) |
![]() 今まで使用するのに抵抗のあった女性や若者向けに、Pockerable & Smart なピルケース入りの「セイロガン糖衣A」が新登場しました。 |
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2017年 (平成29年) |
![]() 正露丸のエッセンスを極めた待望の木クレオソート単味生薬製剤。液状成分の木クレオソートを独自の技術で軟カプセルに封入。様々な下痢のファーストチョイスとしてご使用いただける「正露丸クイックC」が 新登場しました。 |
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2022年 (令和4年) |
![]() 1902年の「忠勇征露丸」発売開始から120年 |



日露戦争直前の1902年、大阪の薬商「中島佐一薬房」は木クレオソートを主成分とする丸剤に「忠勇征露丸」と名づけ、販売する許可を大阪府より交付されました。1902年は、日英同盟を締結した年であり、ロシアとの緊張関係が高まりつつある状況でした。
一方、大日本帝国陸軍では、1904年に開戦した日露戦争の間、胃腸薬として使用されていた木クレオソートの丸剤に「征露丸」と名づけ、軍人全員に服用を命じていたとの記録が「明治三十七八年戦役陸軍衛生史」に残っています(※)。
第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)に大幸薬品は、中島佐一薬房から「忠勇征露丸」の製造・販売権を継承しました。その後、「征」から「正」へ名前を変え、大幸薬品では1959年に「正露丸」の商標登録を行い、現在にいたっています(※※)。
「正露丸」は日露戦争前から、100年以上にわたって皆さまに愛され続けているのです。
※ 出典:「明治三十七八年戦役陸軍衛生史」
※※ 1959年12月登録 登録番号第545984号
